【歴史】明治政府と三大改革

【明治政府の成立と三大改革】日本が激変!明治維新サバイバル

  1. イントロダクション:ルールが全部変わる日

皆さん、こんにちは!今日は日本の歴史が一番激しく動いた「明治維新」について冒険していきましょう。

想像してみてください。昨日まで「侍が一番エライ!」と言っていたのに、朝起きたら「今日からみんな平等です、刀は捨ててください」と言われる。そんな、マンガのような大逆転が実際に起きたのがこの時代です。

今日は、新政府がどうやって日本を「近代国家」という新しい形に作り変えていったのか、3つのポイントで見ていきましょう。

 

  1. ポイント:新政府の「マニフェスト」と新しいルール

まず、新しい国を始めるにあたって、リーダーたちが「俺たちはこういう国にするぞ!」という宣言を出しました。これが1868年の「五箇条の御誓文」**です。

この中身が実はすごく現代的なんです。

  • 「万機公論に決すべし」:みんなで話し合って決めよう!
  • 「知識を世界に求め」:世界中のすごい技術や考えを取り入れよう!

これ、今の日本の民主主義のルーツとも言える大事な言葉なんです。 同時に、江戸を「東京」と呼び変え、天皇一人につき元号を一つにする「一世一元の制」も決まりました。 今の「令和」まで続くルールはここで誕生したんですね。

ここでACE流記憶術~。新政府はヨーロッパのような近代国家を目指したのです。「ヨーロッパ」 ちょっとカッコよく発音して、「ィヤロッパ」 1868(イチハチロクハチ)でイヤロッパです!

  1. ポイント:バラバラの「藩」を一つの「日本」へ

次は、国のシステム作りです。江戸時代は「藩」ごとに殿様がいて、まるで小さな国が並んでいるような状態でした。これでは外国に対抗できません。

そこで政府は2段階の作戦に出ます。

  1. 版籍奉還(はんせきほうかん1869年):まず土地と人を天皇に返してもらいました。でも、元殿様がそのまま治めていたので、あまり変わりませんでした。
  2. 廃藩置県(はいはんちけん1871年):これが劇的です!藩を完全に廃止して「県」を置きました。

東京から「県知事(県令)」を派遣して、全国を直接コントロールする「中央集権国家」を目指したんです。 この時、中心になって動かしていたのは、薩摩・長州・土佐・肥前(さっちょうどひ)の4つの藩出身のキレ者たちでした。これを「藩閥政府(はんばつせいふ)」と呼びます。

ここでACE流記憶術~。「藩とは言わない、県と言う」 1871(イチ、ハチ、ナナ、イチ)で「言わない」です。ちなみに、この時「沖縄県」は誕生していません。当時は「琉球王国(りゅうきゅうおうこく)」で、1872年に「琉球藩(りゅうきゅうはん)」となり、1879年に「沖縄県」なります。ここでACE流記憶術~。「琉球と、言わなくなって、沖縄県」 1879(イチ、ハチ、ナナ、キュウ)で「言わなく」です。

 

  1. ポイント:身分制度の崩壊!「四民平等(しみんびょうどう)」

さて、皆さんの生活に一番関わるのがここです。政府は「皇族以外はみんな平等」という「四民平等」を打ち出しました。

  • 平民の誕生:百姓や町人が「平民」になり、苗字を名乗れるようになりました。 好きな仕事を選べるし、どこに住んでもOK。結婚も自由!
  • 士族の受難:逆に武士(士族)は大変です。お給料(家禄)はカット、自慢の刀も「差すな!」と言われます。
  • 解放令(1871年):差別されていた人たち(えた・ひにん)も「平民」と同じになりました。 ただ、制度は変わっても人の心の差別はすぐには消えず、長い課題となりました。 ここでACE流記憶術~~。「えた・ひにん、とはもう言わない、解放令」  1871(イチ、ハチ、ナナ、イチ)で「言わない」です。廃藩置県と同年だね!

ここで1872年のデータを見てみましょう。 日本の人口約3300万人のうち、93.6%が平民です。 ほとんどの日本人が「新しい自由」を手に入れた一方で、生活の激変に戸惑っていた時代でもありました。

  1. まとめと問いかけ

駆け足で見てきましたが、どうでしたか? 明治維新は、古い殻を脱ぎ捨てて、日本が世界へ飛び出そうとしたエネルギーに満ちた時代でした。

最後に皆さんに質問です。

「もし明日から『学校も試験も全部なくなります!その代わり、自分で仕事を見つけて稼いでください』と言われたら、あなたはどうしますか?」

当時の日本人は、まさにそんな期待と不安の中にいたのかもしれません。

次に、この新しい政府が、どうやって税金を集め、軍隊を作っていったのか(三大改革の続き)を詳しく見ていきましょう!」

【新政府の三大改革編】

  1. イントロ:国を強くするための「3つの大仕事」

さて、身分制度が変わって「四民平等」になったところで、次に政府が考えたのは「どうやって日本を外国に負けない強い国にするか?」ということです。

そのために、国民に3つの大きな義務や仕組みをお願いすることにしました。それが「教育・軍隊・お金(税金)」の改革です。

 

  1. 教育の改革:学制の公布

まず1番目は「教育」です。 1872年、政府は「学制」という仕組みをスタートさせました。 それまでは寺子屋などで自由に学んでいましたが、これからは「日本中の子供(6歳以上)は全員、小学校に通いなさい!」と決めたのです 。

  • 目的: 近代国家を支える賢い国民を育てるためです。
  • 当時の様子: 「学校なんて行かせる余裕はない!」という親も多く、反対運動が起きることもありました。でも、このおかげで日本の識字率(文字が読める割合)は爆発的に上がっていくことになります。

 

  1. 軍隊の改革:徴兵令(ちょうへいれい)

2番目は「軍隊」です。 1873年、「徴兵令」が出されました。 満20歳になった男子には、身分に関係なく3年間の兵役(軍隊に行くこと)の義務が課せられました 。ここでACE流記憶術~。「いやな3年、徴兵令」 1873(イチ、ハチ、ナナ、サン)で「いやな3年」です。

  • 大きな変化: それまで戦争は「武士(士族)」の仕事でしたが、これからは「国民全員」の仕事になったのです 。
  • 反応: 平民からすれば「大事な働き手を取られる!」と不評でしたし、逆に士族からすれば「俺たちの特権を奪うな!」と、どちらからも不満が出るほどの大改革でした 。

 

  1. お金の改革:地租改正(地租改正)

最後、3番目は「税金」です。

1873年、「地租改正」が始まりました。国の運営には安定したお金が必要だからです。ルール変更:

    • お米で払う(年貢) ⇒ 現金で払う
    • 収穫量で変わる ⇒ 土地の値段(地価)の3%を払う
  • メリット: 天候によってお米の取れ高が変わっても、政府には毎年決まった金額の現金が入るようになり、国の予算が立てやすくなりました。

ここでACE流記憶術~。「いやな3%、地租改正」 1873(イチ、ハチ、ナナ、サン)で「いやな3%」です。徴兵令と同年だね。ちょっとここで質問。奈良時代の律令制度で定められた租(そ)という税。稲を納めたのだけれど、収穫の何%だったでしょう? そう、3%。ぐっと現代に近づいて、みんなも負担している消費税。導入された1989年(平成元年)当初は何%だったでしょう? そう、これも3%。野球界の昭和のレジェンド、長嶋茂雄の背番号も3で巨人軍の永久欠番になっている。日本人は3が好きなのかなぁ。おっと、話がそれてしまった。これは入試でも狙われやすいんだけど、地租改正の税率3%はその後どうなったか。上がった、下がった、変わらない? これはね、下がったんです。2.5%に。地租改正一揆があってね!

 

  1. まとめ

これで「明治維新」の基礎が揃いました。

  1. 五箇条の御誓文で方針を決め、
  2. 廃藩置県で国を一つにし、
  3. 四民平等で身分をなくし、
  4. 学制・徴兵・地租改正で国の力を蓄えた。

今の私たちの生活(学校へ行く、税金を払うなど)のほとんどが、この時期に作られたことが分かりますね。

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