【歴史】条約改正と日清戦争
世界に並べ!明治日本の大逆転劇:条約改正と日清戦争
みなさん、こんにちは!今日も歴史のドラマを一緒に紐解(ひもと)いていきましょう。
今日のテーマは、明治時代の日本が「一人前の国」として認められるために奮闘(ふんとう)した、熱い講義です!
なぜ日本は必死だったのか?(帝国主義の嵐)
19世紀後半、世界は**「帝国主義」**という嵐の中にありました 。欧米の列強(イギリス、フランス、ドイツ、アメリカ、ロシアなど)が、軍事力を背景にアジアやアフリカを次々と植民地にして、資源や市場を奪い合っていた時代です 。
当時の日本にとっての最大の課題は、江戸時代に結ばされた「不平等条約(ふびょうどうじょうやく)」を改正し、欧米と対等になることでした 。そのため、日本は法律を整えるなど、必死に国の近代化を進めていたんです 。ちょっと復習です。不平等条約って何でしたか? 1858年の日米修好通商条約(にちべいしゅうこうつうしょうじょうやく)です。「領事裁判権(りょうじさいばんけん)」、これは「治外法権(ちがいほうけん)」とも言うけど、「外国人は日本の法律では裁けない」というのを認めてしまいました。それと日本には「関税自主権(かんぜいじしゅけん)が無い」という条約をアメリカと結びました。その後、同様の条約が、イギリス、フランス、オランダ、ロシアとも結んだのです。
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「一番怖い、治関(ちかん)の条約、日米修好通商条約(にちべいしゅうこうつうしょうじょうやく)」 1858(イチ、ハチ、ゴ、ハチ)で、「いちばんこわ」です。「ち」は「ちがいほうけん(治外法権)」、「かん」は「かんぜいじしゅけん(関税自主権)」です。犯罪者のチカンが条約を結んでいたら、怖いよね。
ダンスと事件と「領事裁判権(りょうじさいばんけん)」
まずは、不平等なルールの一つ、**「領事裁判権(治外法権(ちがいほうけん))」**をなくすための戦いです。
- 鹿鳴館(ろくめいかん)のダンスパーティー 外務大臣の井上馨(いのうえかおる)は、東京に「鹿鳴館」という豪華(ごうか)な建物を作り、外国人を招いて舞踏会(ぶとうかい)を開きました 。これを**「欧化政策(おうかせいさく)」**と呼びます。「日本もこんなにオシャレで文明的ですよ!」とアピールしたかったんですね。でも、見た目だけ変えてもダメだという国内の激しい反対もあり、失敗に終わります 。
- ノルマントン号事件(1886年) そんな中、大事件が起きます。イギリス船のノルマントン号が和歌山沖(わかやまおき)で沈没。イギリス人の船長たちは脱出したのに、日本人乗客は全員水死してしまったんです。ところが、船長は領事裁判(りょうじさいばん)によって、「禁錮(きんこ)か3か月(さんかげつ)という軽い罰」で済まされてしまいました。これには日本国民の怒りが爆発!「絶対に条約を改正しなきゃいけない!」という声が一気に高まりました 。
- ついに撤廃(てっぱい)! 日清戦争直前(にっしんせんそうちょくぜん)の1894年、外務大臣の陸奥宗光(むつむねみつ)が、ついにイギリスとの間で領事裁判権の撤廃に成功します 。大きな一歩ですね! 同年に関税自主権も一部は回復しましたが、完全に回復したのは、1911年、外務大臣が小村寿太郎(こむらじゅたろう)の時でした。
- 「1894年、陸奥宗光、領事裁判権撤廃」「1911年、小村寿太郎、関税自主権回復」は、セットで覚えておきましょう。
日清戦争、勃発(ぼっぱつ)!
次は、東アジアのリーダー争いです。朝鮮半島をめぐって、日本と清(中国)が対立していました 。
- きっかけは農民の反乱 1894年、朝鮮で「東学(とうがく)」という宗教を信じる農民たちが甲午農民戦争(こうごのうみんせんそう)を起こします 。朝鮮政府が清に助けを求めると、日本もすぐさま出兵し、そのまま日清戦争へと突入しました 。
- 日本の勝利と下関条約(1895年) 近代化を進めていた日本が勝利!山口県の下関で結ばれた条約の内容は、今でもテストによく出ますよ。
- 清は朝鮮の独立を認める 。
- 日本は遼東(リャオトン)半島・台湾(タイワン)・澎湖(ポンフー)諸島をもらう 。
- 清から約2億両(テール)の賠償金(ばいしょうきん)をもらう 。これは、当時の日本円で約3億円、国家予算の約3倍ですよ!
思わぬ邪魔(じゃま)と、日本のレベルアップ
「やったー!勝ったぞ!」と喜んでいた日本に、横やりが入ります。
- 三国干渉 ロシア・ドイツ・フランスの3国が、「遼東半島は清に返しなさい」と迫ってきました 。当時の日本には、この3国に対抗する力はありません。泣く泣く半島を返還しました 。これをきっかけに、日本人の間で「ロシア、いつか見てろよ!」という対抗心がメラメラと燃え上がります。
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「ドクロぶつ、三国干渉、むかつくぜ!」 怒りにまかせて、ドクロをぶん殴っている映像を思い浮かべてください。ドクロの「ドク(独)」はドイツ、「ロ(露)」はロシア、「ブツ(仏)」はフランス。ぶん殴りたいくらいムカついてたってことです。
- 賠償金でパワーアップ! 清からもらった賠償金の多くは、さらなる軍備拡張に使われました 。また、工業化も一気に加速します。1901年の八幡製鉄所(やはたせいてつしょ)は、テストによく出題されます。
- 関税自主権の回復 この勢いのまま、1911年には小村寿太郎外務大臣が、アメリカとの交渉で関税自主権の完全な回復に成功。これで日本は、名実ともに世界の強国の仲間入りを果たしたのです。
【今回のポイント】
日本の近代化は、ただ便利になるためだけでなく、「世界に舐(な)められないため」の必死の努力だったんですね。

